コメント1(2020年4月9日)

佐藤彰洋氏(横浜市立大学)の新型コロナ感染予測シミュレーションに関する疑義について

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新型コロナウイルスの感染拡大に関して、専門家による予測として、各TV局、新聞等で取り上げられている佐藤彰洋氏(横浜市立大学)のシミュレーション内容については、以下に述べるような問題と疑義があります。私たちは1)佐藤彰洋氏に対して、この問題を再三指摘し、修正を促しましたが、十分な回答はなく、佐藤氏は修正にも応じていません。我々は科学者としての社会的責任を感じ、佐藤氏には、以下で指摘する問題をなぜ修正しないのか科学的根拠を明瞭にして回答することと、必要な対応を求めるものです。マスコミ各社には、下記の問題点を含むと思われる佐藤氏の予測結果を無批判に報道することの社会的影響を認識くださるようお願い致します。

 

1.  佐藤氏がシミュレーションで用いている数理モデル2)は、感染症の一般的な数理モデルとして使われているSIRモデルに潜伏期等の時間遅れを導入した独自のモデルですが、SIR方程式が持つべき基本法則である質量(人口)保存則を満たしていません【問題点1】。さらには、時間遅れの入れ方に誤解があり、物理的にも意味がないモデルになっていると思われます【問題点2】。

 

2.  佐藤氏は、いわゆるCross Validation(交差検証)を行っていません【問題点3】。感染症予測など社会的影響が大きい問題について、新たな数理モデルを使って予測を行う場合は、Cross Validation(交差検証)を行い、その信頼性を確かめた上で実施し、結果を発信すべきです。このままでは、“一定の正しさが保証されない結果”を積極的に社会に発信して、社会を混乱させる恐れがあるため 、佐藤氏に対して,早期に修正または撤回することを検討するよう求めます。

 

3.佐藤氏のモデルは氏が考える最悪条件2)を反映したものです。したがって予測結果は佐藤氏の個人的な価値判断に基づく部分があると考えられます【問題点4】。リスクアセスメントにおいて予測を社会に提示する際には、モデルの適用条件と適用範囲、不確実性を客観性を持って社会に伝える必要があります。佐藤氏には、これらを明確に述べるよう求めます。


4つの問題点についての詳細は、次の別紙を参照ください。

 

2020年4月9日

本堂  毅(東北大学理学研究科准教授、科学技術社会論)

佐野雅己(東京大学名誉教授、東京大学国際高等研究所東京カレッジ特任教授、統計物理学)

松下 貢(中央大学名誉教授、統計物理学)

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1)我々は、今回の新型コロナウイルスの日本における感染拡大の重大性を認識し、東京等における非常事態宣言や感染予防措置を強化することには賛成の立場ですが、政策や情報発信は、科学的に信頼できる情報に基づいてなされるべきであると考えます。
2)https://www.fttsus.jp/covinfo/numerical-simulation/

 

別紙(詳細)

【問題点1】数理モデルについて

 佐藤氏がシミュレーションで用いている数理モデル

https://www.fttsus.jp/covinfo/numerical-simulation/

は、感染症の一般的な数理モデルとして使われているSIRモデルに潜伏期間や観測の時間遅れ等を導入した独自のモデルですが、SIR方程式が持つべき基本法則である質量(人口)保存則を満たしていません。

具体的には、質量保存則を満たすためには、上記モデルの第1式右辺と第2式右辺第一項は同じ形になるべきですが、そうなっていません。そのため、出生や外部からの流出入を仮定していないにもかかわらず、増えるはずのない人口が増えたり減ったりする現象が生じます。数学的には、変数はS, I, Rの3変数であり、第1式から第3式までで閉じており、人口NはN=S+I+Rであると定義しているため、仮定によりNは一定になるべきです。にもかかわらず人口が増減することは、数学的に誤った計算をしていることになります。(死者数Dは第4式で感染者の一定割合が死亡するとしているので独立であり、第1~3式に影響を与えない変数のため、人口が減少することもないはずです。)

 

【問題点2】時間遅れの扱いについて

佐藤氏の数理モデルにおいては、潜伏期と感染が確認されるまでの時間遅れτを考慮して、時間遅れのあるSIRモデルを導入しています。しかし、時間遅れの効果の入れ方が従来の時間遅れのあるSIRモデルと異なっています。過去の多くの文献で、時間遅れの効果は、τ日前に感染した人数がτ日経った後の時刻tにおいて未感染者の数S(t)と接触すると考えて、S(t)I(t-τ)としているものが殆どです。しかし、佐藤氏はこれをS(t-τ)I(t-τ)と書いています。佐藤氏にこの点を指摘したところ、他の殆どの論文は間違えているとの回答を得ました。しかも、その説明は我々には科学的とは思えないものでした。従来の数理モデルとは異なる独自のモデルを使って社会的にも重要な予測を行う場合には、科学者として細心の注意が必要です。佐藤氏のモデルには、常微分方程式と確率微分方程式の2種類がありますが、基本部分は同じ方程式であり、両者は同じ問題を含んでいます。

一般に、遅延時間付き常微分方程式は、振動やカオスといった複雑な時間変動を起こしやすく、数値解が不安定化しやすいこともあり、これまで疫学における具体的予測には殆ど用いられていないと思われます。(2)で述べた時間遅れの入れ方を修正したとしても、それも一種の近似に過ぎないことをここで指摘しておきます。

因みにインペリアルカレッジのグループが予測に用いている数理モデルは、SIRモデルに基づく離散モデルです。遅延の効果は接触時間間隔の分布に含まれており、Cross Validationにより過去のデータの一部を用いて誤差を最小化するようパラメータを決定し、残りの時間の観測データと予測値を比較して予測値の妥当性をチェックしています。

https://www.imperial.ac.uk/media/imperial-college/medicine/mrc-gida/2020-03-30-COVID19-Report-13.pdf

 

【問題点3】 Cross Validation(交差検証)について

数理モデルで予測を行う場合は、すでに観測されているデータの一部からモデルのパラメータを推定し、残りの時間について予測した結果が実際のデータと一致するかどうかでモデルの妥当性を判定する手法が一般に使われます。COVID-19については、すでに新規感染者数が減少を始めている中国、韓国、イタリアなどのデータがあり、本来はこれらのデータを用いてモデルの予測性能を確認し、その上で予測に使うべきです。またそれ以外の国についても、部分データを用いて同様のCross Validationチェック(交差検証)が可能なはずです。佐藤氏には、そのチェックのプロセスを踏むことを求めます。

 

【問題点4】 予測に、「最悪条件」を用いている点について 

佐藤氏は数理モデル(問題点1に同じ)の説明で、「一度感染した感染者は今回のシミュレーション期間である数カ月は感染能力を有するというシナリオでシミュレーションを行うことで、もっとも最悪事象を想定した場合のシミュレーション結果」を得ようとしたことを述べています。シミュレーションに際して最悪条件を採用するか否かは、科学や医学自体で決まるものではありませんし,何を最悪条件と考えるかも客観的に定まるものではありません。この意味で、今回佐藤氏が予測に用いたモデルに課した条件には、佐藤氏が自らの価値判断に基づいて採用したものが含まれており、その条件が予測結果を左右していると考えられます。日本学術会議の「科学者の行動規範」は、その科学的助言の項で、以下の規範への準拠を日本の科学者に求めています。「科学者は、公共の福祉に資することを目的として研究活動を行い、客観的で科学的な根拠に基づく公正な助言を行う。その際、科学者の発言が世論及び政策形成に対して与える影響の重大さと責任を自覚し、権威を濫用しない。また、科学的助言の質の確保に最大限努め、同時に科学的知見に係る不確実性及び見解の多様性について明確に説明する。」佐藤氏には、予測結果を生み出す数値モデルがどのような具体的条件を反映したものなのか,その条件は常に成り立つものなのか,特殊なものなのか,予測結果にはどのような不確実性があるのかなどを客観性をもって明瞭な形で社会に伝えることを求めます。

 日本学術会議「科学者の行動規範—改訂版—」(2013)

http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-22-s168-1.pdf


以上述べたように、佐藤氏の数理モデルとその予測は多くの問題を含んでおり、東京や福岡で98%程度の抑制が必要という予測等には信ぴょう性が乏しいと考えます。科学的に矛盾を含んだモデルを用い、予測のための基本的なチェックも怠りながら、積極的に社会に発信することは、社会をいたずらに混乱させるだけと考えます。このことに抗議し、上記の質問に科学的に答えられないのであれば、即刻主張を取り下げることを佐藤氏に求めます。また、佐藤氏の意見を専門家の意見として取り上げるマスコミの皆さんには、慎重な対応を求めます。

 

2020年4月9日

本堂毅(東北大学理学研究科准教授、科学技術社会論)

佐野雅己(東京大学名誉教授、東京大学国際高等研究所東京カレッジ特任教授、統計物理学)

松下 貢(中央大学名誉教授、統計物理学)